ラグビーのキック

2020年1月30日放送「シンソウ坂上」に稲垣啓太・福岡堅樹・堀江翔太が出演し、真相を語ります。ここでは、稲垣啓太・福岡堅樹・堀江翔太に関するエピソードを紹介します。また、「シンソウ坂上」放送終了後、新たな真相を追加します。

「シンソウ坂上」稲垣啓太・福岡堅樹・堀江翔太が出演!ラグビー人気をけん引!

ラグビーのタックル

ラグビー日本代表の稲垣啓太選手、福岡堅樹選手、堀江翔太選手が、2020年1月30日放送の「直撃!シンソウ坂上」に登場します。

三人が、ワールドカップラグビーのラグビー日本代表の快進撃、そしてラグビー人気をけん引していることに、異議を唱える人はいないでしょう。

ラグビーワールドカップ後も、多くのテレビに出演し、各地にてラグビーの人気が広がることを願い活動しています。

そして、トップリーグがはじまるやいなや、大活躍されています。

ここでは、「シンソウ坂上」の中で語られるテーマについて、関連すると思われる内容をテレビ・雑誌・ネット含むメディアの中からピックしまとめました。

2020年1月30日の放送終了次第、三人の更なる新真相を加えて更新します。

「直撃!シンソウ坂上」稲垣啓太選手の真相とは

“笑わない男”として有名な稲垣選手は、2019年母校であるラグビーの超名門校・新潟工業高校のグラウンドを天然芝に変えるため300万円を寄付したというのは有名ですよね。

実はこの年、新潟工業高校・ラグビー部は新入部員が激減し、存続の危機に立たされていたそうです。

そこで、かつて稲垣選手も指導したラグビー部の監督が、新入部員勧誘のためにグラウンドを天然芝に改修することを提案しました。

ところが、業者に提示された300万円という見積もりに頭を抱えてしまったそうです。

そのピンチを救ったのが、「稲垣くんにお願いしてみたら」という監督の妻の何気ない一言だったそうです、

この時のことを稲垣選手は「金額も聞かずその場で『いいですよ』と。金額が1000万円でも払ったと思います」と振り返っています。

なぜ監督夫妻は稲垣選手からの援助に目を付けたのでしょうか。

この真相とともに、稲垣選手の行動の背景にあった思いも明かされます。

稲垣啓太選手は、.いつも新潟工業高校のラグビー時代のことを、「ラグビー選手としての基盤を作ってもらった場所で、また人間としての大事な部分も教えていただいた。また人間としての大事な部分も教えていただいた。そいった意味では新潟工業高校の3年間は自分の原点ですね。」と語っています。

ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会後に、稲垣啓太選手は、新潟市に凱旋し、母校の新潟工業高校を訪問しました。

全校生徒約870人が、花道で出迎えた新潟市西区の新潟工業高では、稲垣選手が登場すると大歓声がわき上がりました。

稲垣選手が、アイルランド戦で着用していた代表ジャージーとサインボールを同校にプレゼントすると、大きな拍手が送られました。

県庁では、新潟工業高のラグビーグラウンドを天然芝にするための資金を寄付したことなどに感謝した米沢朋通副知事が「2023年のW杯フランス大会に向けて今後も活躍してほしい」と期待しました。

稲垣選手は「皆さんからの声援を力に変えて、結果で恩返しできるように頑張ります」と語っていました。

「シンソウ坂上」福岡堅樹選手の真相とは?

50メートル5秒8の俊足を世界に見せつけた福岡選手は、「ラグビーワールドカップ2019」終了後のインタビューで15人制ラグビーの代表引退を発表しました。

「東京2020オリンピック」を最後に、幼い頃からの夢だったという医師の道を目指すと宣言し世間を驚かせました。

福岡選手は父が歯科医、祖父も内科医という医者一族に生まれ、自身も偏差値70以上という超進学校に進んだエリートです。

医師になるための勉強をしながら、大学でもトップレベルのラグビーを続けたかった福岡選手は、2つの夢をかなえるため、筑波大学の医学群を受験するも不合格、人生初とも言える大きな挫折を味わいます。

浪人中は、大好きなラグビーもできず、勉強にも身が入らないという状況だったという福岡選手。

二浪する道もありましたが、ひとまずラグビーに集中するために、筑波大学の情報学群に進学しました。

福岡選手の中で人生の転機となったこの時に、自らの進路に関して下した彼の決断、そして、彼の決断を後押しした父親の言葉とは?

まだ27歳で、これからの活躍が期待された彼が引退宣言をした理由が語られます。

福岡家は医者の家系ですが、父・網二郎さんは医者になれと福岡選手に言ったことはないそうです。

父・網二郎さんは、息子がどんな職業に就こうが、本人がやりたいことを見つければいいと思っていたのでした。

福岡選手は、2020年の東京オリンピックに7人制ラグビーでの出場を目指しています。

そして、五輪後は医学部に入りなおし、

幼少の頃からの夢である医師の道を志すと公言しています。

父・網二郎さんは、そんな福岡選手のことを「わが子に対してこんな言い方をしていいのか分かりませんが、すごいなと思いながら見ています。今は心配することもほとんどありません。すべて自分で決め、それを確実にこなしている。本当に感心するばかりです」と、話されています。

ちなみに福岡選手のマウスピースは、父・網二郎さんが作成したものだそうです。

「シンソウ坂上」堀江翔太選手の真相とは?

スクラムの中心となるフッカーというポジションで、日本代表チームを10年にわたって支え続けるベテランの堀江選手は、「ラグビーワールドカップ2019」開幕前の2019年3月に、父親をがんで亡くしていました。

堀江選手の父親は日本中を飛び回る着物の営業をしており、堀江選手には幼少期に父親と過ごした記憶がほとんどないといいます。

堀江選手が帝京大学卒業後に、ニュージーランド留学へ行くことを悩んでいたときには、大反対する母親に対し父親は、「お前が決めたんだったら行ってこい」と、後押ししてくれたそうです。

この留学経験を生かし、堀江選手は2009年に初めて日本代表に選出されます。

順風満帆かと思いきや、この頃、父親がステージ4の大腸がんと診断され、余命数カ月と宣告されてしまいます。

母・則子さんのお話によれば、

「(がん発覚後は)入退院を繰り返すような日々が続きました。でもトップリーグの試合も、遠いところには行けなかったのですが、関西で試合があるときには、できる限りスタジアムに足をはこんで応援していました。試合の後は、親子でいっしょに食事をして……。翔太がラグビーの話をするのを、楽しそうに聞いていました。やっぱり親として翔太の体のことも心配だったのでしょうね。『ケガだけはしないように』という言葉が、口癖のようになっていました。言葉数は少ないのですが、翔太にとって本当に意味のある、背中を押してあげるような言葉をかけるのは、いつも主人でしたね」

息子の活躍は、慎一さんにとって、がん闘病の励みになっていたと話されています。

「主人は翔太の写真やポスターを病室に貼ったりするタイプではありませんでした。その代わりに、財布の中には、翔太がちっちゃいころの写真を入れて、いつも持ち歩いていたんです。それに翔太もトップリーグや日本代表としての重要な試合で活躍すると、いつもそのときのジャージを持ち帰ってきて、主人にプレゼントしてくれたんです。病室にいるときでも、主人は、そのジャージを楽しみにしていました」と続けて話されたそうです。

2015年のW杯では日本代表が優勝候補である南アフリカを破る大金星を挙げたときには、

「試合の中継が深夜だったもので、私は寝ていたんです(笑)そうしたら主人が『えらいことになってるぞ!』と……。勝った瞬間は喜ぶよりも驚いて呆然としていました。帰国後に届けてくれた日本代表の桜マークがついたジャージは、いまも主人の仏壇のそばに飾ってあります」と、母・則子さんが話されていました。

堀江選手は息をひきとった父を見て「僕のプレーをいちばん気にしてくれていた」と語ったといいます。

慎一さんは楽しみにしていた日本でのW杯を見ることができませんでした。

則子さんは観戦に行くときには、何枚かご主人の写真を持って行って、試合に勝つと、その写真を振り回して喜んでたそうです。

「シンソウ坂上」では、2009年に余命宣告された父親が10年間生き抜いた奇跡の裏にあった、堀江選手と亡き父親との絆が初めて明かされます。

まとめ:「シンソウ坂上」稲垣啓太・福岡堅樹・堀江翔太が出演!真相とは?

ラグビーのスクラム

2020年1月30日放送「シンソウ坂上」に稲垣啓太・福岡堅樹・堀江翔太が出演し、真相を語ります。

ここでは、稲垣啓太・福岡堅樹・堀江翔太に関するエピソードを紹介しました。

私たちは、彼らのラグビーのすばらしいプレーはもちろんその人間性に惹かれるのです。

また、「シンソウ坂上」放送終了後、新たな真相を改めて追加更新します。

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