
冬のオリンピックのスノーボードで2大会連続の銀メダルを獲得した平野歩夢選手が、2020年のオリンピックのスケボー(スケートボード)に参戦します。夏と冬のオリンピックでメダルを獲得するか、平野歩夢選手の挑戦していく過程を更新していきます。ぜひご参照ください!
目次
- 1 オリンピックメダリスト平野歩夢選手のスノーボードやスケボーへの歩みとは?
- 2 2018年11月、平野歩夢選手がスノーボードとスケボーの両立でオリンピック挑戦を表明!
- 3 平野歩夢選手は、なぜ東京オリンピックのスノボーに挑戦するか?
- 4 2019年5月、東京オリンピックのスケボーの強化選手に平野歩夢選も選出!
- 5 9/15、スケートボード・パーク世界選手権でショーン・ホワイト選手と平野歩夢選手がスケボーで再戦!
- 6 9/19、平野歩夢選手がスケボーの初オリンピック出場圏内32位から日本勢最高23位に浮上!
- 7 11/28、スケボー五輪代表へ決意新たに、平野歩夢選手新スポンサー契約!
- 8 11/29、平野歩夢選手が、スケボーのオリンピック出場決意表明!
- 9 まとめ:平野歩夢選手がスケボーでオリンピック挑戦!最新情報を更新します!
オリンピックメダリスト平野歩夢選手のスノーボードやスケボーへの歩みとは?

「夢に向かって歩んでほしい」。平野歩夢さんの名前に込められたご両親の想いです。
平野歩夢さんが4歳のとき、幼い子でも楽しめるスケボーを広めようと、父の英功(ひでのり)さんが自宅近くの新潟県村上市の旧市民体育館を改修して施設を作りました。
平野歩夢さんのライバルは3つ違いの兄、英樹(えいじゅ)さん、夏はスケボー、冬はスノーボードと、兄の背中を追ったそうです。
新潟県内には、ハーフパイプの練習施設はなく、平野歩夢さんは、山形県の横根スキー場に毎週末、父親らに送迎してもらって兄と通い続けたそうです。
父と母、そして共にスノーボード選手である兄と弟と共に育った平野歩夢選手。
平野歩夢選手は、遊ぶ楽しさや練習の厳しさを兄弟で共有しながら、家族一丸となって成長してきました。
小学4年では、平野歩夢選手は誰よりも高く飛べるようになり、早くも海外のスポンサーがつきました。
平野歩夢選手は、米国の第一人者、ショーン・ホワイト選手にあこがれ、一緒の舞台に立つことを目標に練習に明け暮れました。
そして、とうとう平野歩夢選手は、ショーン選手を抑え冬季オリンピックで日本人最年少となる15歳2カ月で表彰台に立ったのです。
平野歩夢選手は、2014年ソチオリンピックで、スノーボードハーフパイプ競技にて銀メダルを獲得、スノーボードの最年少オリンピックメダリスト記録としてギネスに登録されています。
2016年は、「X-Games」を制覇しました。
2018年には大怪我を乗り越えて出場した平昌オリンピックで、平野歩夢選手は、二大会連続の銀メダルを獲得しました。
2018年11月、平野歩夢選手がスノーボードとスケボーの両立でオリンピック挑戦を表明!

2018年11月、平野歩夢選手はユニクロのグローバルブランドアンバサダーに就任の発表会にて、東京五輪から正式種目として採用されるスケボーでのオリンピック出場を目指すことを表明しました。
平野歩夢選手が少年のときから憧れている、平昌オリンピックのハーフパイプ金メダリストのショーン・ホワイト選手も東京オリンピックを目指しますが、彼はスケボーに集中するためにスノーボードのコンテストからの離脱を明言していいます。
しかしは、平野歩夢選手はスケボーとスノーボードとの二刀流を目指すことを表明しました。
平野歩夢選手は、スケボーについて以下のように語っています。
「スケボーはスノーボードと同じタイミングで始めたひとつの競技で、(オリンピックの)正式種目となった今、そうなった以上は自分も何か引っかかるものがあるというか、スルーするわけにはいかない気持ちは前々から感じているので、ひとつの挑戦として自分の成長のために頑張ろうと思っています」
また、スケボーとスケートボードの両立について、
「基本的にはスノーボードをメインに考えたいけど、気持ちは半々。スノーボードをやることでスケボーを失って、スケボーをやることでスノーボードを失う。何かを失う練習になってくると思います。そこに対して具体的な話はまだないんですけど、今のところ気持ちが半々という状態です」
と述べています。
スノーボードとスケボーの違いについては、
「スノーボードは足が固定されているから全身を使って上に飛び上がるイメージですが、スケボーは足元だけを器用に使いこなさなきゃない。スノーボードではない動きなんですよね。だから似ているようで全然違う。例えるなら、野球とサッカーくらい」
と平野歩夢選手は語っていました。
平野歩夢選手は、なぜ東京オリンピックのスノボーに挑戦するか?

平野歩夢選手が、それほどまでに全く異なる競技に挑もうと思った契機は、2017年3月に出場した全米オープンでの負傷だったそうです。
スノーボードの演技中着地に失敗し、左ひざ靱帯と肝臓を損傷。選手生命どころか、一歩間違えたら生死にも関わる大怪我を負い、全治3ヶ月で、リハビリ期間は約2ヶ月でした。
平野歩夢選手は、厳しいリハビリを経て、結果的に翌年の冬季オリンピックでは銀メダルを獲得することになります。
そんな、「もしかしたら選手生命がここで終わってしまう」という当時の危機感が、スケボーという新たな競技に挑みたいという平野歩夢選手の挑戦心を掻き立てたそうです。
「どんな競技であれ、アスリートである以上は最終的に身体的な限界が来ます。また、“自分にはこれしかない”という気持ちは、精神的にすごく追い詰められてしまいます。怪我をしてみて、改めてそれを思い知りました」
と平野歩夢選手は語られています。
もしスノーボードができなくなっても、強いひとりの人間として立っていられるために挑戦を繰り返し、負けては強くなって、悔しい思いをしては強くなることを続けていく選択をしたのです。
「スケボーを始めたことで、この1年は全くスノーボードをせずに専念してきました。そのぶんビハインドはあるけど、これまでの積み重ねを信じていまは新しいことにチャレンジするとき。どちらも両立してオリンピックに出場した選手は過去にいません。まだ誰も成し遂げていないことを自分が達成することで、今後若い子たちが『スノーボードだけじゃなくてスケボーも』って、セットで考えらえるくらいになったらうれしいですね。可能性がある限りはチャレンジしていきたいと思います」
と、平野歩夢選手は語りました。
2019年5月、東京オリンピックのスケボーの強化選手に平野歩夢選も選出!

2020年東京オリンピックでは、新種目となるスケボー。
まだまだ、詳しいルールは協議中です。
スケボーの競技は、パーク(PARK)とストリート(STREET)という2種類があるそうです。
『パーク/PARK』は、茶碗型やひょうたんを半分にしたような形など様々な形の中を滑ります。
『ストリート/STREET』は、階段や手すり、縁石などを組み合わせ