2020年3月9日放送「逆転人生」に、写真家そしてバー店主など波乱万丈の人生を送っている、新宿のマリア・佐々木美智子さんが登場します。ここでは、 「逆転人生」に登場した 新宿のマリア・佐々木美智子さんの写真家やバー店主などの波乱万丈の人生をまとめました。
目次
新宿のマリア・佐々木美智子が「逆転人生」に登場!
2020年3月9日放送「逆転人生」に、写真家そしてバー店主など波乱万丈の人生を送っている、新宿のマリア・佐々木美智子さんが登場します。
「新宿のマリア」と呼ばれる伝説のママ、佐々木美智子さん、86歳。
戦時中、兄を軍の上官に殺された経験から、反権力を貫いてきましたた。
報道写真家として学生運動を取材した経験から、学生たちを支えようとゴールデン街のママになります。
それがなぜか、歌舞伎町の高級クラブのママに転身しました。
数々の有名人と親交を結び、後に、ブラジルに渡って成功するなど驚きの連続です。
今も現役の美智子ママ、その波乱万丈の人生を女優・室井滋の熱演で描かれます。
ここでは、 「逆転人生」に登場した 新宿のマリア・佐々木美智子さんの写真家やバー店主などの波乱万丈の人生をまとめました。
新宿のマリア・佐々木美智子が「逆転人生」に登場! プロフィールは?
名前 :佐々木美智子
生年月日:1934年生まれ
年齢 :86歳
出身地 :北海道根室市
職業: 写真家、バー「ひしょう」経営
1934年、北海道根室市生まれです。
22歳で上京。おでんの屋台を引いたあと、日活撮影所勤務を経て、東京綜合写真専門学校で報道写真を学びます。
写真家として日大全共闘の活動を追っかけながら、68年、新宿ゴールデン街でバー「むささび」を開店しあす。
1979年、ブラジルに移住。
アマゾンで飲食店、ペンションを営み、サンパウロで私設図書館をつくりあす。
93年、帰国。伊豆大島に住み2014年、80歳でゴールデン街に戻り、バー「ひしょう」を経営します。
著書に『新宿発アマゾン行き』(文藝春秋社)、写真集に『日大全共闘』(鹿砦社)、『新宿 ゴールデン街のひとびと』(七月堂)などがあります。
日大全共闘の活動と日常の断片的映像を組み合わせた自主制作映画『何時か死ぬのね』(1974年制作)が昨年、東京都写真美術館で開かれた「エクスパンデッド・シネマ再考」展で再上映されました。
愛称は「おみっちゃん」です。
一番上の優しい長兄が徴兵され、上官にリンチを受けて死んでしまうという事件が!明るかった母が物も言わなくなってしまい、家族が一変して暗くなってしまったそうです。
暗くなった家庭から出たくて、都会育ちのサラリーマンと19歳で結婚し、旦那さんのご実家があった函館に住んでいたそうです。
新宿のマリア・佐々木美智子が「逆転人生」に登場! 経歴は?
佐々木美智子さんは、 1934年2月9日に北海道根室市に生まれます。
1954年、北海道根室高等学校を卒業後、 就職、結婚しますが、「たった一回の人生、このままじゃ嫌だ、自分の力で生きてみたい」 と思ったらしく離婚します。
1956年、 22歳の時に母親の援助を受けて上京し 美容学校に入学するも入学式終了後に退学。
そして、おでんの屋台を引き始めます。
その後、 日活撮影所(現在の日活調布撮影所)で3年間の勤務を経て 神奈川県横浜市にある東京綜合写真専門学校で 報道写真の勉強をしました。
卒業後には、 写真家として、日大全共闘のデモ活動を追いかけました。
1968年、新宿のゴールデン街に「むささび」というバーを開店します。
1970年、「むささび」閉店します。
その後は歌舞伎町の高級クラブ 「ゴールデンゲート」のママに転身し、 松田優作さんや原田芳雄さんなど 数々の有名人と親交関係を結びます。
1974年、「ゴールデンゲート」を閉店し 一人でスペイン旅行へ行きます。
1975年には今度は片道切符で本格的に世界放浪しよう!と、 決意しゴールデン街で「黄金時代」を開店します。
お金を貯めて、1979年にはブラジルに移住し、 アマゾンでバーとペンションを経営しました。
1988年にはサンパウロに私設図書館を設立します。
1993年に日本に帰国し、伊豆大島に住み始めます。
2014年、80歳になった佐々木美智子さんは、 再びゴールデン街に戻り「ひしょう」というバーを経営します。
まとめ:新宿のマリア・佐々木美智子が「逆転人生」に登場!写真家・バー店主?
ここでは、 「逆転人生」に登場した 新宿のマリア・佐々木美智子さんの写真家やバー店主などの波乱万丈の人生をまとめました。
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