吉藤健太朗が逆転人生に出演!分身ロボット「オリヒメ」の開発者!

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2020年2月10日放送「逆転人生」に、分身ロボット「オリヒメ」の開発者である吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんが出演されます。ここでは、「逆転人生」に登場する吉藤健太朗さん(分身ロボット「オリヒメ」の開発者)のプロフィール・経歴・オリヒメの開発・現在そして今後をまとめました。

吉藤健太朗が逆転人生に出演!話題のロボットも登場?

ロボット

2020年2月10日放送「逆転人生」に、分身ロボット「オリヒメ」の開発者である吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんが出演されます。

分身ロボット「オリヒメ」の開発者・吉藤健太朗さんは、アメリカ経済誌で田中将大さん、錦織圭さんと並び、“アジアを代表する30歳以上の若きリーダー”に選ばれています。

極度のコミュニケーション障害で、部屋で「折り紙」に没頭していたという暗黒の少年時代。

これが後に人生の逆転につながりました。

スタジオには話題のロボットが登場するそうです!

ここでは、「逆転人生」に登場する吉藤健太朗さん(分身ロボット「オリヒメ」の開発者)のプロフィール・経歴・オリヒメの開発・現在そして今後をまとめました。

吉藤健太朗が逆転人生に出演!プロフィールや経歴は?

吉藤健太朗さんは、オリィ研究所代表です。

1987年、奈良県生まれです。

小学校5年から中学校2年まで不登校を経験します。

中学時代に「ロボフェスタ2001」関西大会準優勝します。

工業高校にて電動車いすの新機構の開発を行い、国内の科学技術フェアJSECにて文部科学大臣賞、ならびに世界最大の科学大会Intel ISEFにてGrand Award 3rdを受賞します。

中学は1年間だけ、工業高校、高等専門学校、早稲田大学には一応通っていましたが、授業にはあまりでず、自分の好きなことだけをやっていたそうです。

その際に寄せられた多くの相談と自身の療養体験がきっかけとなり「人間の孤独を解消する」ことを人生のミッションとします。

早稲田大学にて2009年から孤独解消を目的とした分身ロボットの研究開発に専念します。

2012年、オリィ研究所を設立しました。

青年版国民栄誉賞「人間力大賞」、スタンフォード大学E-bootCamp日本代表、フォーブス誌「30 Under 30 2016ASIA」などを受賞するなど注目を集めます。

2019年には、遠隔コミュニケーションロボット『OriHime-D』による分身ロボットカフェ『Café DAWN(β)』を実験的にオープン、大きな反響を呼びました。

吉藤健太朗が逆転人生に出演! 小学校から中学校にかけて不登校?

吉藤健太朗さんは小学校5年生〜中学校にかけて3年半不登校の時期がありました。

吉藤健太朗さんは、最初は自身の入院と自宅療養で学校を休まなくてはいけなかったそうです。

その間に学校に自分の居場所がなくなってしまったかのように感じてしまい、今度はストレスでほとんど学校に行けなくなってしまったそうです。

吉藤健太朗さんは、協調性がなく、空気も読めませんでした。

学校で誰もが教わるであろう野球やバスケットボール、サッカーなどのルールも知りません。

学校に行けない日々は、3歳の頃から始めていた得意の折り紙を折ったり、漫画家を夢見て漫画を書いていた時期もあったそうです。

この時のずっと折っていた折り紙は、 吉藤健太朗さんの創作の原点になりました。

19歳の時には、 吉藤健太朗さんは奈良文化折紙会を設立しました。

吉藤健太朗さんの折り紙は、机の上で折るのではなく空中で形を折っていく“創作折り紙”です。

吉藤健太朗が逆転人生に出演! ロボットコンクールに熱中?

吉藤健太朗さんの母親がある日突然、「ロボットコンクールに応募したから」と言ってきたそうです。

もともと手先が器用で、 吉藤健太朗さんはモノを作るのが大好きで、 「高専ロボコン」は好きで見ていたので面白そうだと思っていたそうです。

いつまでもひきこもっているのを見かねて、母が応募したのではと、 吉藤健太朗さん は語っています。

なんと中学2年生の時に全国大会に出場し「虫型ロボット競技大会チャンピオンフェスタ」全国大会で準優勝しました。

このコンクールに出場し、たまたま出会ったのが、 吉藤健太朗さんが師匠と呼ぶ、奈良県立王寺工業高等学校の物づくりの巨匠・久保田憲司先生です。

世間ではようやく二足歩行ができるロボットが話題になっているような時代に、一輪車に乗るロボットを開発していました。

吉藤健太朗さんは、「これはすごい。この人に弟子入りしたい」と思ったそうです。

そこで残りの中学生活を必死で勉強し、 吉藤健太朗さんは希望の工業高校に入学しました。

ご両親や親友、先生たちの懸命なサポートにより、 吉藤健太朗さんは中学2年生の時には学校に復帰することもできました。

吉藤健太朗が逆転人生に出演!高校時代は電動車いすに没頭?

吉藤健太朗さんは、工業高校に入学すると、久保田先生の教えのもと福祉機器に興味があったことから、新しい電動車椅子の研究プロジェクトに入れてもらったそうです。

吉藤健太朗さんが、高校時代一番熱中したのは車いすの開発です。

久保田先生から「特別支援学校での学校間交流のボランティアに行って来い」と言われ、車いすを目にしたことがきっかけだったそうです。

特別支援学校の生徒たちと仲良くなって車いすを押してみると、 吉藤健太朗さんはあまりの不便さに衝撃を受けました。

歩道で車いすが傾いたり、車道から歩道に上がる際の4cmほどの段差が乗り越えられなかったり。

吉藤健太朗さんは、「もっと使いやすくできないか」と考え、そこで高校時代の大半を車いすの開発に注ぎました。

この時期は朝6時から遅いときは帰ると23時になっていたこともあったくらい研究開発に没頭されていたそうです。

その結果、数々の賞を受賞しました!

2004年「JSEC」(高校生を対象とした科学技術自由研究のコンテスト)で文部科学大臣賞を受賞。

2005年「ISEF(インテル国際学生科学技術フェア)」(世界最大級の科学技術のオリンピック大会)で日本代表として出場し、「Grand Award 3rd」を受賞

この優勝をきっかけに地元では有名になり、同時に多くの相談が寄せられるようになりました。

吉藤健太朗さんは、改良に改良を重ね、傾かず、段差も楽に乗り越えられる車いすを開発しました。

吉藤健太朗が逆転人生に出演! 大学時代に分身ロボットを開発 ?

吉藤健太朗さんは、高校卒業後は高等専門学校に編入し人工知能を学び、人とロボットではなく人と人をつなぐロボット作りを目指すようになり、途中から早稲田大学創造理工学部へ進学しました。

大学では、ロボットの動作を学ぶために、パントマイムサークルに入りました。

また、吉藤健太朗さん自身が苦手としていたコミュニケーションを克服するために、様々なサークルに入り人と関わるように努力されたそうです。

一方、2009年に 吉藤健太朗さんは 「オリィ研究所」を自ら作り、分身ロボットの研究を始めました

オリィ研究所の“オリィ”とは、得意の折り紙から付けられたあだ名だそうです。

だれにも言わずに2年もの間ロボットの開発を続けた結果、 吉藤健太朗さんは、 2011年にOriHimeを発表しました。

早稲田大学にも認められ2011年の国際ロボット展に早稲田発のロボットとして出品しました。

このことをきっかけに、一緒に研究をする仲間や大学との連携により実際に病院などで試験利用をしてもらえるようになったそうです。

そして、仲間とともにロボットを多くの人に使ってもらえるように、と2012年に株式会社オリィ研究所を設立しました。

吉藤健太朗が逆転人生に出演!オリヒメとは?

オリヒメにはカメラ・マイク・スピーカーが搭載されており、スマートフォンやパソコンなどを介して操作することで会話をしたり、その場の様子を観察したりすることができます。

つまり、操作する人は、家にいながらにしてあたかもその場にいるようにコミュニケーションができるのです。

一方、オリヒメが置かれた場所にいる人も、操作している人の存在を感じることができます。

今、オリヒメは難病などで寝たきりになっている人や育児や介護で職場に行けない人、全身の筋肉が衰えていく難病ALS(筋萎縮性側策硬化症)の患者さんにも使われるようになっています。

ALSの患者さんは目だけでオリヒメを動かし、それまでは難しかった多様なコミュニケーションが可能になりました。

オリヒメを使うことで、「行きたいのに行けない」「会いたいのに会えない」状態がなくなり、孤独の解消につながっています。

吉藤健太朗が逆転人生に出演! 不登校の経験が分身型ロボットの発想の原点?

吉藤健太朗さんは、ひきこもりをしていた時は本当に辛かったといいます。

吉藤健太朗さんは、とにかく孤独で、他の人よりも勉強も心の成長も大きく遅れているという劣等感、疲弊した家族の顔を見るたびに襲われる焦燥感、誰にも求められていないという無力感などの思いばかりが募ったそうです。

吉藤健太朗さんは、人と会うことで自分と比べてしまい劣等感を感じ、人前に出れなくなってしまい、ひどい時はベッドに寝たきりになり、天井ばかりを見つめていたそうです。

こんな孤独な状態を他の人に味わってほしくないという思いが、オリヒメの開発につながっていたと、 吉藤健太朗さんは語っています。

吉藤健太朗が逆転人生に出演! 現在の開発は?

現在、 吉藤健太朗さんのオリィ研究所で発明された分身ロボットは以下の通りです。

OriHime(その場にいるコミュニケーションを可能とした分身ロボット)

OriHime eye(眼や指先しか動かせない重度肢体不自由患者のための意思伝達装置)

OriHime-D(遠隔操作で身体労働を伴う業務ができる全長約120cmの分身ロボット)

他にも、取り組んでいることは、OriHimeこどもプログラミングです。

これは、 プログラミングを通して子供が「誰かの役に立つ」という疑似体験をすることで、テクノロジーやプログラミングの重要性を学習できるプログラムです。

吉藤健太朗が逆転人生に出演! 寝たきりになってからの人生戦略?

吉藤健太朗さんが見た「2030年」でわかっているのは、高齢者が増え、寝たきりの人もさらに増えるということです。

ただ、「寝たきりになった後」の人生戦略を考えている人が少ないと、 吉藤健太朗さん は語ります。

体が動かなくなる人にとっての「孤独」の解消法もまだありません。

吉藤健太朗さんが定義する孤独は「一人ぼっち」という意味ではありまん。

「誰も自分のことを必要としてくれていない、どこにも居場所がないと自分で感じている状態」だと、 吉藤健太朗さんは定義しています。

吉藤健太朗さんは、「寝たきりの患者」とは呼ばず、「寝たきりの先輩」と表現します。

吉藤健太朗が逆転人生に出演! 体が資本から心が資本へ?

吉藤健太朗さんには、2018年に急逝し、オリィ研究所で秘書も務めた番田雄太さんという親友がいたそうです。

番田雄太さんは4歳で交通事故に遭い、「寝たきりの先輩」のひとりでした。

番田雄太さんは、「これまでは『体が資本だ』と言われてきたが、そこに何の意思もなければ、体が動いたところで意味がない」と語っていたそうです。

番田雄太さんは、これからの時代は「心が自由であること」が大事になり、「心が資本」の時代が来るとも主張していたそうです。

自分が何かをやりたい時だけでなく、何もしたくないという時に「何もしなくていい」選択肢が取れることも重要だということを、 吉藤健太朗さんは語っています。

吉藤健太朗さんは、選択肢を持てることに価値があると話されています。

まとめ:吉藤健太朗が逆転人生に出演!分身ロボット「オリヒメ」の開発者!

AIの開発

ここでは、「逆転人生」に登場する吉藤健太朗さん(分身ロボット「オリヒメ」の開発者)のプロフィール・経歴・オリヒメの開発・現在そして今後をまとめました。

「体が資本」から「心の資本」の時代と言うメッセージが印象的でした。

ロボットという本来心持たないものに、心が大きなキッカケとなり、そして心を救うことになることに感銘しました。

吉藤健太朗さんのこれからの活動や活躍が、ますます楽しみです。